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『西山家文書(八道村庄屋文書)』 -下関市立豊田文化財資料室

更新日:2026年7月14日更新 印刷ページ表示

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下関市立豊田文化財資料室ではこれまで西山家文書(八道村庄屋文書)を解説した刊行物を18号刊行しています。

​西山家文書(八道村庄屋文書)一

準備中

​西山家文書(八道村庄屋文書)二

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​発行年:平成18年3月

著 者:下関市立豊田文化財資料室長 田中俊郎

発 行:下関市立豊田文化財資料室

ページ:73ページ

 

この資料では、江戸時代の八道村(現・下関市豊田町)の庄屋が残した「西山家文書」の中から、以下の4つのテーマについて解説しています。

1.  萩藩主・敬親の八道村通行
    安政四年、萩藩主が村を通行した際の一大イベントの記録。藩主を迎えるため、道や橋の整備、沿道の草木伐採、見苦しい家の柴垣修繕など、村を挙げて綿密な準備が行われました。藩からの厳しい指示や、当日の役人の動き、村人たちが土間で平伏して通行を待つ様子などが詳細に記されています。

2.  青駄送りで逃亡した為吉
    旅の途中で病気になった「為吉」という男を、故郷の津和野まで村継ぎで送る「青駄送り」の道中、彼が逃亡した事件の記録です。関係した村々の庄屋間の書状のやり取りから、逃亡後の捜索や身元確認を巡る混乱、村から村へ病人を引き継いでいく当時の制度の様子がわかります。

3.  八道村の火事への備え
    火災に備えた村の消防体制に関する記録です。火事発生時の連絡方法(寺社の早鐘や法螺貝)、消火道具や役割分担(消火、伝令、武士の護衛)、近隣の村へ応援に行く際の作法まで、具体的なルールが定められていました。

4.  八道村の五人組編成
    年貢納入などの連帯責任を負わせるために作られた「五人組」の組合帳です。記録からは、単純に家が近い者同士で組ませるのではなく、庄屋が様々な事情を考慮してメンバーの入れ替えに苦心した様子がうかがえます。

これらの文書から、江戸時代の村社会における藩との関係、危機管理、村人同士の連帯責任といった具体的な実態を読み取ることができます。     

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)三

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​発行年:平成18年3月

著 者:下関市立豊田文化財資料室長 田中俊郎

発 行:下関市立豊田文化財資料室

ページ:72ページ

1.概要
西山家が保管した「八道村庄屋文書」は、元禄16年(1703)~明治2年(1870)に八道村(現豊田町西市地区)で行われた新田開発・畑転換・年貢米の納入状況を記録した一次資料

2.資料の構成
新開帳は35冊以上(うち19冊は時代順に整理)+隣接楢原村の帳1冊。目次には年代・帳名が記載され、*やナで追加・綴じ順を区別

3.年代
元禄16年(1703)『八道村新畠田帳』、宝永3年(176)・宝永5年(178)・享保元年(1716)等、安永5年(1776)〜天明8年(1788)、寛政元年(1789)〜寛政12年(1800)、文化2年(1805)〜文化12年(1815)、文政元年(1809)〜文政12年(1822)、明治2年(1870)まで

4.記載内容
(1) 土地・畝の面積(畝・歩・亩) (2) 耕作形態(田・畠・新畠・畠田) (3) 米・石の納入量(斗・升・合・石) (4) 関係者名(庄屋・農民・左衛門・右衛門等) (5) 印・押印情報 (6) 付随紙片・白紙ページ


5.文献学的特徴
『ナ』は帳の区切りや新規追加、『*』は複数冊が綴じられたことを示す。目次の年月日は帳表記に合わせた漢数字で記載。原本破損・補足用の紙片・白紙が多く見られる


6.歴史的(研究資料としての)意義
農村の土地開発、年貢制度の時系列が把握できる、米・石の納入量と耕作面積の推移から農業生産力、税負担の変化が読める、住民名が多数記録され系図や村の人口動態研究の材料になる。  


7.特筆すべき付記
隣接楢原村の帳が1冊含まれ、地域全体の土地開発比較が可能。宝永7年の凶作と幕府への年貢減免訴訟(浮石義民の話)にも言及。

8.まとめ
八道村庄屋文書は元禄から明治初期までの約170年にわたる新田・畑転換・年貢米の詳細記録で、農村経済・社会変容を追跡できる貴重な一次資料。

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)四

​準備中

 

西山家文書(八道村庄屋文書)五

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発行年:平成21年3月

著 者:下関市立豊田文化財資料室長 田中俊郎

発 行:下関市立豊田文化財資料室

ページ:222ページ

 

1.概要
『西山家文書(八道村庄屋文書)』は、元治元年(1864)~明治2年(1870)にかけて八道村(現豊田町西市地区)に関する行政・経済・社会資料を集めた一次資料。


2.資料構成
本編は9つの大項目に分かれる:(1)幕末の動き、(2)村人の願いや訴え、(3)御算用目録・決算書、(4)戸籍・戸籍改正、(5)江戸幕府・藩の間牒、(6)農老・年貢米・借米文書、(7)定書(弘化4年)、(8)宗門・寺事・神事、(9)その他(芝居興行・金子手形等)。

3.幕末の動き
元治元年(1864)に長州藩危機、京師変動に関する文書・幕府間牒・安政5年(1858)コレラ(暴潟病)防疫・治療指示、幕府から各藩へ配布された疫病対策(餅粉、芥子粉、酢等)などが含まれる。


4.村人の願いや訴え
約13件の「演説」「御歎」「口上覚」等の形式で、主に凶作や年貢米不足に伴う米・米借りの願い、税の半額納入、農民の救済・扶持、役人退職願、土用・土貢米の免除申請、盗難罰則の申告などが記録。特に明治2年の凶作による米借り要求が多数。

5.直訴事件
藤輪伊佐衛門(八道村畔頭)が農夫の使役軽減を藩に直接訴え、最初は受諾されたが後に投獄され、1847年に脱獄し福岡県星野村へ逃亡。明治11年に死没し、昭和時代に顕彰碑が建立された。文書自体は未保存だが、関連「定書(弘化4年)」が当事件後に出されたと推測される。

6.御算用目録
村の財政・年貢米・米銀・土貢米・捨米・救い米・農料貸出などを記録した帳簿。代表的なものは「八道村御算用目録(万延元年)」「古米御算用目録(文久元~明治3年)」「八道村役目諸割賦根帳(享和2年)」。各帳は押印・継ぎ目印付きで、納入・未納・借米状況が一目で分かる。

7.土貢/年貢米
文書は度重なる「永年賦」や「土貢米不足」への訴えを示し、米不足時の半納、免除、米の借り入れ・返済の具体的手続きを記載。特に明治2・3年の凶作期は「米拝借願」や「米捨り米返合」等が頻発。

8.定書(弘化4年)
弘化4年(1847)に出された「定書」では、村人が荷物運搬や雇用に関する規定を改訂。特に「荷物は自力で運び、重い荷物は差出し禁止」等の労働条件が明記され、藤輪事件後の藩の労働政策と関連付けて解釈される。

9.税・罰則文書
盗みの過料米(3斗+報奨)や「土貢米不納」への重罰、殺人発生時の即時捕縛・処罰指示、罰則の細部(罰料米・金銭)を明示した文書が多数。


10.宗門・寺事・神事
「宗門御究め」や「神事(虫除)」「観音堂管理」等、宗教儀式や祭礼の実施・制限に関する指示が記載。特に「虫除(神事)」は天保期に度重なる祭礼遅延・混乱への対処策として語られる。


11.年貢米・米貸し出し
年貢米が納入できない百姓に対し、葬儀・救助用米、災害時の米借り出し、米の分配・貸付条件(米1石=5斗等)や返済期限を詳細に示す文書が多く、財政的救済の実態が明らかになる。


12.農老・役人制度
「農老」=地方三役(百姓代)として、農村の行政・年貢管理を担う。文書は農老の報酬・退役・評価、役人の職務と罰則を明示し、藩政の地方統治構造を示す。


13.戸籍・人口記録
慶応3年(1867)・明治3年(1870)などに作成された戸籍帳・改正戸籍帳が複数あり、住民の氏名・年齢・籍貫・来住年月・死亡・出奔などが記録。戸籍改正は人口流動や移住管理の背景を示す。

14.芝居興行・土地借用
寛政3年(1803)に「芝居興行」許可・土地借用に関する文書があり、当時の娯楽産業と農村土地の多目的利用が確認できる。
15.金子・手形雛形
安政2年(1855)に「金子借用手形雛形」が作成され、金銭貸借の標準様式、利率・回収条件が示されている。地方金融慣行の証左。

16.特殊儀礼・風習
胎児性別判定(占い)や「櫨の奨励」=ヒノキ植樹の奨励、男女給米の規定、年中行事(祭礼・結婚・葬送)に関する細則が散見され、地方風習と藩の統制が交錯。

17.農村経済・土地開発
『新開帳』と呼ばれる新田・畑転換・畠田開発の記録が多数(元禄16年〜明治2年)。これにより八道村の農地拡張・米生産増加が把握できる。

18.行政指示・控除
様々な「御交付」「御命令」や「御捨り米」指示があり、収穫不足時の米の差し止め・免除、農業支援策(災害金・扶持米)などが組織的に実施された様子を示す。

19.まとめ

本資料は幕末・明治初期の農村経済・税制・社会運動・地方行政の微細な実態を提供し、長州藩危機、コレラ流行、藤輪直訴事件など大政変動と結びつくことで、地方史と全国史の接点を明らかにする重要資料。

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)六

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発行年:平成21年3月

著 者:下関市立豊田文化財資料室長 田中俊郎

発 行:下関市立豊田文化財資料室

ページ:222ページ

 

1.概要  


  A 藩・幕府役人迎賓 ― 迎え入れの手順・事前準備・事後精算(割賦銭)  
  B 米作り(士貢米・農料米) ― 収穫状況、災害被害、米の供出・納入手続き  
  C 永代売券・土地売買 ― 永代売券の発行・紛失・再交付、隣村との土地取引  
  D 土・士貢米納入・免除(捨米・御捨り米) ― 納入帳・免除帳・差米・借米・拝借米の全容  
  E 諸帳・補遺 ― 地下役座米帳、農料米貸渡帳、拝借米帳、年賦米分割帳、村割賦貫ぎ等、文献・目録情報  

A. 藩・幕府役人迎撃(「迎え入れ」文書群)  
・対象役人:萩藩奉行、萩藩目付、御目付・奉行の巡見、その他異例の幕府巡視者  
・事前準備(例:享保十七年正月十九日「御郡廻り遊ばさるに付き日記」)  
・道路・橋梁の整備:荒道作り、別道・三通直し、土俵設置、川渡し橋、しだ垣設置  
・労働者配置:木切り、炭焼、炊き餅、米打ち、橋掛、茶屋、仮設トイレ、荷運び、案内役(外畔頭・内畔頭)  
・人員配分:上中下三階層別に人数を記載(上八道 30名、下八道 70名)  
・当日対応:迎賓行列、領境内での祭礼的奉斎、酒肴の配膳、納米の受付・検査  
・事後精算(割賦銭):割賦銭帳に「割賦金額・債務者・期日」記載、役人側への請求・返納手続きが細分化している  

 

B. 米作り・土・士貢米の実態  
・総田面積(明暦・享保・文政の三時代比較)  
・明暦元年 76町 2反 2畝(平均 8.0 反/畝)  
・享保十七年  91町 8反 2畝(平均  8.5 反/畝)  
・文政六年  82町 2反 3畝(平均  6.5 反/畝)  
・面積別人数構成(文政期に5反以下が57 %)  
・名寄帳:明暦は全員名寄せ済、享保は未名寄せ15 名、文政は小計147 件  
・農料米・士貢米  
・収穫期の「領内皆作届」(天保・嘉永)で「残らず皆作」 → 農民が自発的に報告した証拠  
・災害記録:天保七年(洪水)・天保八年(旱魃)・天保九年(凶作)等、被害箇所・件数が詳細に列挙  
・米納入帳・請状  
 ・土貢米請状(文政・天保・明和)で「米の品質・数量」「俵内外の検査」まで規定  
 ・米の分配:内札・外札の管理、米俵の「俵刺し」・「桁付」まで指示  

 

C. 永代売券・土地取引  
・永代売券の種類(明治・安政・嘉永・文政各時代)  
・永代売券(転貸禁止、質入れ不可)・永代売渡し・永代売証の「紛失・再交付」記録が多数   
・典型例:嘉永5年(1852)永代売券(仮古):“土地の全権譲渡、永代使用権付”  
・土地売買:隣村・金道・楢原との契約書は「面積・高石・代金」欄が明瞭、金銭・米の代価支払いが混合  
・永代売券目的:土貢米免除・納税軽減、借金担保、農地の世襲安定化  

 

D. 土・士貢米・捨米・拝借米  
・捨米(御捨り米)  
・明和7年(1867)・文久元年(1863)に 合計 28 石 
・年限別(2・3・5年)で免除対象農民を分類、免除後の再貸付・再納付が細かく帳簿化  
・拝借米(借米)  
・明治2・3年(1879‑1881)に 「米3斗~5斗」 の借入が多数、官吏や災害被災者向けに実施  
・拝借米請求書:請求額、返済期日、担保(木材・銀)を明記し、返済遅延時の罰則も記載  
・差米手形(文久・元治・明治)  
・差米金額  1 石 2斗 16 文/1 石 2斗 10 文 → 全帳で同一金額、米価固定を示唆  
・土貢米全納・半納  
・「全納」文書(天保、文政)では「米の計量・檢査・不良米の除去」まで規定  
・「半納」では「次年分へ繰越」や「早米・遅米の別納」手続が添付  

 

E. 諸帳・補遺(補足資料)  
・地下役座米帳系列(嘉永5年〜明治2年)  
・「米算用目録」「米貸附取替」「米請帳」「米払帳」‑ 各帳で米の貸付、回収、差損が時間軸で追跡できる  
・農料米貸渡帳(万延元年‑明治2年)  
・貸付人数・貸付量を集計:平均 1 斗、最小  1 斗、最大  3‑4 斗(個人差は小)  
・拝借米関係帳(慶応・明治)  
・拝借米の使用期間「1 年」「2 年」等で区分、返済と併せて「米の質」も記録  
・年賦米分割帳・割賦貫ぎ帳(明治2年)  
・割賦金額・回数を明示、割賦が滞ると「罰金」や「農地の差し押さえ」へと連結  

 

2.各項目の内容とポイント 

 
項目 内容 ポイント
田畠面積変遷 明暦 → 享保 → 文政で総面積は増減あり(享保が最大) 面積別人数比の変化が、農家規模の分散化を示す
農料米・士貢米の統一性 米貸付はすべて 68件・3石4斗で固定 統一的な農業支援政策で、米価・量の安定を図った
永代売券の役割 土貢米免除・借金担保・農地世襲保護 永代売券の頻繁な紛失・再交付は、文書管理の課題を浮き彫り
米免除・拝借の頻度 明治初期の災害・凶作で大量拝借・捨米が発生 「半納」「早米・遅米」制度が柔軟な納税対応策として機能
官僚迎賓の実務  事前道路・橋梁整備、労働者の役割分担、割賦金の精算 藩・幕府の巡査・巡見は、村落インフラ整備と直接結びついていた

 

3.まとめ  


西山家文書(八道村庄屋文書)第 6 号は「官僚迎賓」→「農業生産」→「税・納米制度」→「土地・永代売券」という一連の流れを、詳細な作業指示・帳簿記載で示す貴重な一次資料である。農民の実務と藩・幕府の行政が高度に結びついていたことが明らかであり、同時代の地方統治・農村経済を理解する上で不可欠な素材である。

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)七

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)八

 

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発行年:平24年3月

著 者:下関市立豊田文化財資料室長 田中俊郎

発 行:下関市立豊田文化財資料室

ページ:191ページ

 

1.概要  
・1冊に「名寄帳(明暦元年)」「新開帳(承応・寛文・元禄)」「割賦金・紙片添付」等をまとめた、全約6 丈の綴じ物。  
・明暦元年(1655)以降、承応(1655)・寛文(1661・1669)・元禄(1697)と複数年の春に作られた「新開帳」も同冊に収録。

  

2.作成経緯  
・元禄15年(1722)に「帳の虫食い損」が判明し、全帳を再書換えて1冊に統合するよう指示された。  
・その際、古い帳の「田畠坪々」と新帳の「新開帳」を照合し、面積・畝石の不一致がないことを確認。  

 

3.主な内容
 (1) 名寄帳(明暦元年)  
    - 62人の田・畠所有者の面積と米(畝石)を個別に集計。  
    - 面積の大小別、同面積での米量比較、筆数が多い者は「三筆合せ」等で1行にまとめられる。  
 (2) 新開帳(承応・寛文・元禄)  
    - 各年ごとに「田の面積」「米(畝石)」「所有者」の個別集計表が作成。  
    - 面積順・米量順にソートし、上位者の名称と数値を一覧化。  
    - 「同じ面積での米量比較」では、歩・畝・反単位ごとに平均米量を算出。  
 (3) 畠(畠・屋敷・屋鋪)の集計  
    - 94人の畠所有者について、面積・米量の合計を算出し、面積別・米量別にランキング化。  
    - 「三筆」「四筆」「小田共に」等の合算表記を除外し、純粋な個別データとして整理。  

 

4.統計・集計の特徴
  - 面積単位は「歩」「畝」「反」などを混在させ、必要に応じて「一反一畝」などの統合表記へ変換。  
  - 米量は「石」「斗」「升」単位で表記し、同一面積内の平均・中央値を算出。  
  - 「面積が多い順」「米が多い順」「同面積での米比較」など、5段階の分析表を作成。 

 

5.紙片・欠損の取扱い  
  - 各帳ページ下部に紙片がはさまれている箇所が多数あり、そこに補遺・訂正が記載されている。  
  - 紙損・欠損部分は「○ページに紙損」と注記し、欠落分は「不明」と扱った。  

 

6.主要数値(抜粋)  
  - 総田面積:76町2反2畝(明暦)→91町8反2畝(享保)→82町2反3畝(文政)  
  - 土・士貢米総量:約1,200石前後(年次別に多少変動)  
  - 畑・屋敷合計面積:約7町、米量は約450石(平均米量は1畝 5〜6斗)  

 

7.学術的意義  
  - 8道村の土地・米の所有構造が明瞭に可視化され、江戸末期から明治初期にかけた農村経済の変遷を把握できる。  
  - 「名寄帳」から「新開帳」への移行は、帳簿の刷新・再編が頻繁に行われたことを示す好例。  
  - 畑・屋敷・屋鋪の所有者別データは、農業以外の小作・商業活動の実態分析にも活用可能。  
  - 以前に発表した「西山家文書(八道村庄屋文書)第 3 号」(元禄16 年~明治2 年)と併せて、全体の時系列分析が可能になる。  
  - 前稿と統合すれば、元禄15年の虫食い損から明治初期までの連続的な帳簿変遷が一目で分かる。  

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)九

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十一

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十二

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十三

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十四

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十五

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十六

準備中

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十七

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発行年:令和6年3月

著 者:下関市立豊田文化財資料室長 田中俊郎

発 行:下関市立豊田文化財資料室

ページ:201ページ

 

1.概要  
  ・「八道村庄屋文書」シリーズ(主にシリーズ7・8)と、関連する「殿居村庄屋文書」や「内野家文書」などの補足資料。  
  ・17世紀後半~19世紀前半(明暦元年、享保十七年、文政六年、天保・嘉永・明治期)にわたる田畠・年貢・米貸付・捨米・拝借米などの帳簿・文書。  

2.田畠(農地)の面積・高石の変遷  
  ・明暦元年(1655):総田数  76町2反2畝(平均 8反/畝)。  
  ・享保十七年(1732):総田数 91町8反2畝(平均 8月5日反)。小面積(5反未満)と大面積(1町以上)の比率が変化。  
  ・文政六年(1823):総田数  82町2反3畝。中規模(5–10反)に集中し、最大面積は約3町5反。  
  ・面積別人数比:明暦は5反未満が最少、文政は5反未満が最大(57%)。享保は中規模(5–10反)が最も多い。  

3.名寄帳(農民別の田・高石集計) 
  ・明暦は全員が名寄せ済みで、集計が容易。  
  ・享保は一部未名寄せ(約17人)で、行数が増えるが総額はほぼ同一。  
  ・文政は小計が多数(147件)だが、全体の総石高は明暦・享保とほぼ同水準。  

4.農料米(貸付米)  
  ・貸付額が一定:68件の帳全体で、各年・各人の貸付量は 3石4斗 ~ 6月5日斗 が共通。  
  ・貸付パターン:全帳で同一額(17‑18石)しか出現せず、意図的な統一貸付と解釈できる。  

5.御捨り米(免除米)  
  ・明和七年(1867):総量 18石8斗、対象者 40名(うち7名は年限別に記載)。  
  ・文久元年(1863):総量 9石5斗、対象者 13名。  
  ・聖書的特徴:年限が「二年」「三年」「五年」などで区分され、年限満了後に再度貸付や回収が行われた。  

6.拝借米(米借入)  
 ・明治2年(1879)から3年にかけて、病害・凶作 の影響で多数の農民が「拝借米」願いを提出。  
 ・代表的な願い:1石2斗(約12斗)〜3石(18斗)を要請し、官庁の慈悲的審査結果が記載。  

7.永代売券状(永久土地売却証)  
 ・1864・1865年に「永代売券状」が二件出現。内容は「当年の土貢米不足分を免除し、永続的に売渡し権を放棄」する旨。  
  ・同文書は「土貢米不耐」や「上納遅延」への対策として位置付けられる。  

8.土貢米(年貢米)の納入状況  
  ・天保・明治期の帳では、土貢米が全納者に対し「御酒」や「金銭」で補償されるケースが多数。  
  ・半方上納願い(明治2年):凶作のため、土貢米を半分だけ納め、残りは翌年に持ち越すことを請求。  

9.農業政策・農民の声(御問下ケ十ケ条)  
  ・天保12年に萩本藩が「農業功者に問う十ケ条」を布告。質問項目は苗代の植え付け密度、肥料の種類、土壌改良、男女労働、旱魃対策など。  
  ・回答例:  
    - 「西国では1歩に100株、近年は30–40株に減少」  
    - 「肥料は塩気・油気を用いるが、労働不足で不足」  
    - 「掛干しは行わず、乾燥は別方法を採用」  
    - これにより、藩の農業指導が具体的かつ実務的に行われたことが分かる。  

10.労働・社会的問題
  ・出奔・難渋:出奔者や病弱者が土地を放棄した際、村は「組合(五人組)」で支援し、代わりに「丸米」や「御捨り米」制度で生活を維持。  
  ・女性労働:文書に「男女給米」や「男女出勤」等が散見され、男性不足時に女性が農作業を補う。  
  ・疫病・凶作:明治2–3年の大凶作に伴い、米借入や免除が急増。  

11.帳簿・文書の構造と解読上の注意点  
 ・色分け:田面・高石は朱色、合は黒色で記載されるが、例外的に黒で書かれた箇所も多数。  
  ・小計・合計の扱い:明暦・文政は小計があるが、合計表記が無い場合がある。  
  ・名寄せの有無:未名寄せの人は複数行に分散して記載され、計算上は別行として扱う必要あり。  

13.まとめ  
  「八道村庄屋文書」からわかる村落農業の全体像 を示す第一歩であり、明暦・享保・文政の三時代比較 によって、土地分配・年貢体制・農民の生活実態 が時代ごとに変容したことを示す。  
 同時に藩の農業指導(御問下ケ十ケ条)と実際の農民の回答・行動を照らし合わせ、政策と実務のギャップ を明らかにした。  

 

​西山家文書(八道村庄屋文書)十八(最終号)

準備中

 

 

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